努力信仰はデタラメだ
「働かないおじさん」だって、心底悩んでいる 中高年が企業に囚われる悲劇(東洋経済オンライン 2017-7-5記事)
” 図で①にくるのは、「努力して成果が出た」ですね。これはまったく問題なく「◎」ですよね。2つ目にわかりやすいのは④の「努力もしてないし、成果も出ない」というやつです。これはまったく問題外なのでド最低(ドサイテイ)の「×」じゃないですか。問題は②の「努力してるけど成果は出ない」と③「努力はしてないが、成果は出てる」なんですよ。ここで日本では、②の「努力してるけど成果は出ない」が「美談化」される傾向があると思うんです。一方、③の「努力は足りてないんだけど、成果は出ちゃってる」のは「価値が矮小化」されやすい。ともすれば、②と③のどちらがいい、と聞かれたら、多くの人は②「努力してるけど、成果はでない」>③「努力は足りてないんだけど、成果は出た」と考えてしまうメンタリティをもっているような気がするのですね。それが行きすぎると、根性主義とか精神主義とか、努力信仰に陥ってしまう気がします。”
最小限の努力(資源・リスク)で最大の効果(利益)を発揮する③が最も称賛されるべき象限です。③を企業活動に置き換えれば、最も少ない資源やリスクで最大の利益を上げることになります。つまりROEを最大化している③が最高評価(株高)となります。
また、たくさんの資源・リスクを投じたにもかかわらず利益を出さなかった②は、資源をより使わなかった④に劣ります。
適性な評価
③ > ① > ④ ≧ ②
誤った評価(現状)
① > ② ≧ ③ > ④
つまり、働き方、スポーツ、学校の勉強など、日本のあらゆる分野に深く根付いている努力信仰は、論理的にデタラメです。論ずるに値しません。こんな誤った認識は一日も早く否定されてほしいですね。
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